なぜLLビーンでなければならないかっていうと、
オレの不精な性格と合っているからなんだよね。このトートバッグは、からっぽでも口が開
いたままストーンと立っている。そこへ文庫本、カメラ、双眼鏡、バーボンのボトルなんか、何でもどんどんぶち込んで、必要なときに探しながら取り出していくっていうのがいいんだ。(中略)
乗馬をやっている人に聞いてごらんよ。自分に合った鞍じゃないと落ち着かないって、必ず言うから。それと同じように、このバッグはオレの必需品なんだ。ほとんど持ち歩いているけど、旅行に行くときはなおさら離せない。今までこいつと世界中を回ってきたよ。空港
のロビーを引きずって、足で蹴飛ばしたりしてね。乱暴に使いながらも愛着がわいてくるんだ。
たとえば、バッグだけじゃなく、ジーパンでも革ジャンでもおなじなんだけど、
天然素材の物って使っていくうちに、使い手と物との間に“友情”が生まれるものなんだよね。
工場から出てきたばかりの新品が、使いこなしていくうちにだんだん肌になじんでくるんだ。
そこからが、本当に商品との付き合いが始まるんじゃないかと、オレは思っているんだけどね。(後略)

(「Goods Press」1992年6月号)

 
 いまや、背もたれ付きのホールディング・チェアのないキャンプなんぞは、考えられないほどである。
しかし、その昔、おじさんたちがキャンプを始めたころは、そんな椅子はぜーんぜんなかった。したがって、このガダバウトチェアをいつものキャンプサイトにもっていき、初めて座ったときの感動のほどは、何もなかったころのを知っている、おじさんたちだけのものである。ハハハハ。(中略)

 ガダバウトとは、ぶらぶら歩くことらしい。したがってガダバウトチェアは、あてどなく散歩などいたすときの道具。考案者は、散歩散策好きを世界が認めるイギリス人である。
イギリス人と散歩との関係は、日本人と風呂との関係に似ている。のんびりと季節ごとの空気に浸って、その日の疲れをいやす。
それも毎日しないとさっぱりしないというのだから、ますます風呂である。
日本人である我々が湯につかってあれこれ思いを馳せるように、彼らも散策の途中、この椅子に深々と腰掛け、景観を我がものとしつつ、あれこれ思うことでありましょう。(後略)

(連載『MONO-LOGUE』Vol.4「OUTDOOR」1994年4月号)

 
 日本人で初めて、レッドウィングを見た人、といっても過言ではないだろう。出会いは60年代後期、場所はアラスカ、アンカレッジ。アウトドアショップには、武骨なワークブーツが並ぶ。スチールトゥの安全靴しか知らなかった油井さんの目にはそれだけでも新鮮だったのだが、そんななかで、唯一「美しい」と感じさせるブーツがあった。
ちょっと赤い色をしたレッドウィング・アイリッシュセッターだった。
 すぐに日本に輸入。72年からレッドウィングはオープンしたばかりのアウトドアショップ、スポーツトレインに並べられた。「スニーカー的な履き心地が、日本人にフィットしたんだろう。例えば、ルアーフィッシングの時にも履くこともできるし、街で履くこともできる。リーバイスの501によく似合ったんだ」
 それに革がいい。柔らかいのだ。
 「今も変わらないな」。日本に初めてレッドウィングを販売した男は、真新しいアイリッシュセッターに足を通しながら語った。今はもう、スポーツトレインにレッドウィングは置いていない。しかし、なぜか、今もレッドウィングのテイストが溢れている。それは「本物のアメリカ」の空気である。

(POPEYE特別編集『RED WING STYLE』)

 
 日本で一番最初のカウチンセーターと言われているのが油井さんがきているこのセーター。「手に入れたのは1973年頃だったかなあ、ちょうどヘビーデューティーが全盛期の頃。そもそもこれはカナダのバンクーバー島に住むカウチン・インディアン独特のもので、模様は家紋のようなもの。その家の誇りみたいなもんなんだ。
使っているウールは未脱脂で、それを何年か土や草の中で寝かせて紡ぐ。
だから、よく見ると葉っぱとかが一緒に編み込まれちゃてるわけ。でも、それが本物なんだよ」
 自然が作り出したこのセーター、天気がいいと目が開いてフカフカになり、
雨が降ると目がつんで防水効果を発揮する優れもの。カナダのハンターはコートとして着ているほどだというから、アウターとして着た時に一番その良さを感じられるのだ。
 「最初はすごくくさいんだ。だって自然の土と草のにおいなんだからね。
でも天然の脂を根こそぎとってしまうようなドライクリーニングなんてもっての外。この匂いもこのセーターの一部なんだから」

(「MEN'S CLUB」1992年12月号)